自給自足生活を目指して奮闘中のえみぃ&オットと、
2人を取り巻く人々のグレートな生活の様子を愉快に
綴ります。
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えみぃです。
今度の土曜日は、信州なずなの会の苗代体験会。
えみぃの田んぼでやります。
んで、今日の午後シロカキをしました。
お昼食べて「さて、でかけよう」と思ったらザーーーーっと雨&あられ!!
止むのを待って田んぼへ。
おとついからなかなか水が溜まらなくて焦ってたけど、行ってみたらあふれてた~。
また雨が降りそうだったから、カッパ着て完全防備で。
雨降る前に終わって良かった。
水が入りにくかったり、小さいからすぐあふれちゃったり、管理が難しい田んぼだけど頑張ります!と気合十分な今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしですか?
ってわけで、野良仕事やら、てしごとやら、毎日忙しくしているえみぃ。
最近知り合った方は「えみぃってアナログな人」と思っているかもしれないけど、実はどっちかっつーとデジタルな人なのだ。
本業はDTPオペレーターっていうマニアックな職業。
わけわかめ~な方のために超ざっくり説明すると、「パソコンで印刷用のデータを作る仕事」って感じ。
印刷の工程をご存知ない方のために少し説明すると、いわゆる印刷屋さんでは「刷版(さっぱん)」というアルミプレートを輪転機にセットして、刷版にインクをのせて、紙と刷版をくっつけることで印刷をする。
その「刷版」を作る方法はいろいろあるんだけど、えみぃの場合は印刷屋さんに「PDF形式」の印刷データを納めて、印刷屋さんは特殊な機械を使ってPDFから刷版を作ってる。
ちょっと前までは、PDFからフィルムを作ってフィルムから刷版を作ってたんだけど、今ではフィルムを経由しないでできるようになった。
って聞くと、「なーんだ、うちのパソコンでもできるじゃん」と思う方も多いと思う。
たしかに、Adobe社が販売してる「Acrobat」っていうお高いソフトをインストールすれば、まぁできないことはない。Wordで作った文書をAcrobatで印刷用のPDFに変換すればよいのだから。
ただし、今のパソコンはAcrobatさえあればできるようになったけど、昔はそうではなかったのだ。
えみぃが就職した当時は、道具が決まっていた。
パソコンはMac、DTP用のアプリケーションソフトとPSフォントと呼ばれるお高いフォントが必要不可欠だった。このPSフォントを早く正確に印刷するためにPSプリンターも必須だった。
必要最低限の環境を揃えるのに、軽く100万円を越えてしまう。
当時のMacって奴は「中にちっちゃいおじさんが入ってる?」って感じるほど人っぽかった。
必要なソフトやフォントのインストールが終わってもすぐにはお仕事でつかえるレベルにならなかった。
説明が難しいんだけど、突然の強制終了や訳のわからないエラーを繰り返し、微調整をしながら育てていく~という感覚だった。
あと、人を見る感じもあったよね。ある人が触ると必ず強制終了しちゃうみたいな。
このマシンは私じゃないと言うこと聞かないのよ~、っていうの、あったよね??
ちょっと話がダッフンしたのでもとに戻すけど、DTPをやってるって言うと「印刷会社の人?」って思われるけど、そうじゃない。
メーカーで製品の取扱説明書(マニュアルってやつ)を作っていたのだ。
最初の会社は欧文タイプライターの製造販売をやっていて、英語やフランス語やドイツ語などなどの言語のマニュアルを作ってた。
実は英文科出身だったえみぃ。当時は英語を使った仕事をしたいと思ってその会社に入った。
入社前には「アメリカの工場に赴任させてあげる。最初はラインに入って修行してね」って言われてたのに、入ってみたらマニュアル制作部門だった。
えぇぇーって思うこともあったけど、まぁ目の前の仕事を一生懸命やるしかないよね、と、海外赴任はすっぱりあきらめた。
今思えば、ここがターニングポイントだったよね。
もし、アメリカの工場に行っていたら、今のえみぃはなかった気がする。
その当時は制作作業っていうより、コーディネイトって感じの仕事だった。
日本語で説明を考えて翻訳会社で言語展開してもらって、レイアウトも外部にお願いして。
印刷会社に発注して、青校チェックしてという仕事で、マニュアル制作の全体像をつかんだ。
毎月の生産計画書をチェックして倉庫の在庫を確認して、足りなかったら増刷手配をする、というようなこともやってたから、製造業の基礎も理解できたように思う。
今日のブログはなんだか文字がいっぱいでつまらないから、当時の写真を入れてみる。
会社の先輩のお婚礼で、振袖を着た写真。
若かったなー。
そこは1年半ぐらいで辞めて、次はプロッター(プリンターのお化けみたいの)を作ってる会社に入った。そこで、本格的なマニュアル制作&DTPを経験した。
具体的にどうやるかっていうと、仕様書や製品そのものを見て使い方を確認し、お客さんにわかりやすい説明を書いてレイアウトをする、ということだ。
この時は簡単なテクニカルイラスト(製品の使い方を説明する絵や分解図など)を書いたりもして、図面からイラストを起こす方法を教えてもらったっけ。
技術部に所属していて、部長秘書、技術秘書も兼務してたから、お客様からの電話を担当者につないだり、部長に頼まれて減価償却の細かいExcelシート作ったり、技術連絡書まわしたりなんつー仕事もしてた。いろんな経験させてもらったよね。
そうそう、技術部は男性が50人にたいして女性は4人だったから、すっごく大切にしてもらった。
幸せな会社だったなー。
その当時のなぜだか気だるい顔の写真。
会社のスポーツ大会での写真だと思う。
若い人が多くて、催しもたくさんあったっけ。
この会社には5年ほど勤めて、結婚のため退職。
主婦業に勤しもうと思ってたけど、失業保険が欲しい♡っていう理由で職安に行って、「DTPで高い給料の希望を出しとけば、適当な会社がみつからずに保険がもらえるわい」と思っていたら「あなたにぴったりの職場があったわよ!」と勧められちゃって。
「ここは人気があるし、試験もあって入るのは難しいけど、チャレンジしてみて!」
とのことだったんで、まぁ入れないだろうと。
試験もみっちり2時間。途中で集中力が切れちゃって、適当に記載して、まぁ受からないわと。
翌日からハワイ旅行に行って、楽しんで戻ってきたら「すぐ来てくれ」と連絡があり、働くことになっちゃった。
いわゆる情報処理系の会社だった。
後でわかったんだけど、マニュアル制作の経験者が欲しかったらしい。試験結果とか学歴はぜんぜん合格ラインじゃなかったけど、社長面接でのえみぃのトークが決め手になったようだ。
饒舌だったんだろうね~(よく覚えてないけど)
その会社でアプリケーション系のマニュアル制作にかかわったんだけど、ここからはDTP仙人、じゃなくて千人、でもなくて専任になった。
会社務めはこの会社が最後だったけど、ネットワーク関連とかパソコンのことをすごく鍛えられた。
ちょうどインターネットが始まった頃で、会社からの連絡は社内掲示板、社員同士のコミュニケーションはメールって感じ。
最先端の環境だった。
入社して自分の机に座ったらパソコンが一台置いてあって、
上司「ここに設定マニュアルがあります。必要なアプリケーションをインストールしてくださいね。インストーラーはネットワークにありますから、ダウンロードしてください。メーラーの設定方法はここにあります。○×△◇・・・」
って言われた。
???って思うこともあったんだけど、中途入社の人は即戦力を求められてるんだから、やみくもに聞いちゃいけないみたいな、なんだか見栄をはっちゃって。
インターネットブラウザーなんて初めて見る~って感じだったけど、わからない言葉や渡されたマニュアルに書いてないことを調べながら、なんとかセットアップをしたっけ。
フロアーにはけっこうたくさんの人がいたけど、しゃべってる人ってほとんど居なかったよね。
「今夜歓迎会をします!」っていうメールが隣の人から来たのはカルチャーショックだったわ。
初日はどうなることやら?と思ったけど、慣れてみたらメールって便利。
自分の都合でいつでも出せるし、相手の都合で見てもらえる。
電話みたいにすれ違うこともないし。
話をすることがめっきり減って、電話恐怖症になったよね。
この頃は食や健康のこと、ぜんぜん興味がなかった。
好きなものを食べて飲んで、やりたいことをやって太く短く生きたいって思ってた。
健康のためにっていろいろしている人を見ると、「長生きしたいのかな?」って思ったりしてた。
見た目も今とはずいぶん違ってた。
ツイストスパイラルっていうパーマをかけて、欧陽菲菲 みたいなでっかい頭をして、ミニスカートとか履いて、かかとの高い靴をカツカツ言わせて、指輪いっぱいつけてピアスもいっぱいつけて。。。
友達の結婚式でめっちゃお酒飲んでハイなとき(左)と、ツイストスパイラルを辞めてカラーリングに走って、どんどん色が明るくなっちゃった頃(右)。
誰ですかー?
この頃のスケジュールと言えば、朝9時には会社に行ってメールチェックやら庶務に1時間。
そのあとはひたすらDTPに没頭して、お昼や休憩時間以外はずっとパソコンの前に座ってた。
ほぼ毎日10時まで残業して、へたすると土曜も仕事って感じ。
結婚してたけど、家事はほとんどできてなかったなー。
朝も昼も晩もコンビニ弁当を食べてて、そのうち中耳炎や膀胱炎を繰り返すようになった。
お医者さんに行ったら、「滋養のあるものを食べてゆっくり休んで」って言われたけど、休めなかった。
で、このままだと体も家庭も壊れちゃう~と退職を決意。
在宅で仕事を始めてもう12年になる。
自宅で仕事をするには、パソコンはもちろんネットワークやバックアップ環境も構築しなくちゃいけなくて、まぁわずらわしいことも多かったけど、お蔭でますますデジタルに強くなった。
細々とホームページ作ったり名刺やパンフレットデザインしたりっつーようなこともやってきたから、ウェブ関連のこともだいたいできる。
なので、ハナノ*ドウヤのホームページももちろんえみぃが作っている。
ネットショップオープンにあたってはオットが一生懸命設定&登録するんだけど、カタログオープンの時はえみぃもお手伝い。
オットのパソコンで、ちょいちょいっとホームページを直してみせたら「あんたってすげぇなー」って言われて、ちょっとご満悦。
そりゃぁそうだよ。一応仕事でやってんだからね。
江戸時代のように暮らす、というのが今のえみぃの目標。
便利なデジタルの世界は目的地とは逆方向のようだけど、いいのだ。
人が作ってきた文明のいいところをちょこっと使いつつ、資源を大切にしつつ、江戸時代のように暮らすのがいいんじゃないかなーと。
ってわけで、なんとなく昔のことを思い出してこんなブログを書いてみた、今日この頃なのだ。
今度の土曜日は、信州なずなの会の苗代体験会。
えみぃの田んぼでやります。
んで、今日の午後シロカキをしました。
お昼食べて「さて、でかけよう」と思ったらザーーーーっと雨&あられ!!
止むのを待って田んぼへ。
おとついからなかなか水が溜まらなくて焦ってたけど、行ってみたらあふれてた~。
また雨が降りそうだったから、カッパ着て完全防備で。
雨降る前に終わって良かった。
水が入りにくかったり、小さいからすぐあふれちゃったり、管理が難しい田んぼだけど頑張ります!と気合十分な今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしですか?
ってわけで、野良仕事やら、てしごとやら、毎日忙しくしているえみぃ。
最近知り合った方は「えみぃってアナログな人」と思っているかもしれないけど、実はどっちかっつーとデジタルな人なのだ。
本業はDTPオペレーターっていうマニアックな職業。
わけわかめ~な方のために超ざっくり説明すると、「パソコンで印刷用のデータを作る仕事」って感じ。
印刷の工程をご存知ない方のために少し説明すると、いわゆる印刷屋さんでは「刷版(さっぱん)」というアルミプレートを輪転機にセットして、刷版にインクをのせて、紙と刷版をくっつけることで印刷をする。
その「刷版」を作る方法はいろいろあるんだけど、えみぃの場合は印刷屋さんに「PDF形式」の印刷データを納めて、印刷屋さんは特殊な機械を使ってPDFから刷版を作ってる。
ちょっと前までは、PDFからフィルムを作ってフィルムから刷版を作ってたんだけど、今ではフィルムを経由しないでできるようになった。
って聞くと、「なーんだ、うちのパソコンでもできるじゃん」と思う方も多いと思う。
たしかに、Adobe社が販売してる「Acrobat」っていうお高いソフトをインストールすれば、まぁできないことはない。Wordで作った文書をAcrobatで印刷用のPDFに変換すればよいのだから。
ただし、今のパソコンはAcrobatさえあればできるようになったけど、昔はそうではなかったのだ。
えみぃが就職した当時は、道具が決まっていた。
パソコンはMac、DTP用のアプリケーションソフトとPSフォントと呼ばれるお高いフォントが必要不可欠だった。このPSフォントを早く正確に印刷するためにPSプリンターも必須だった。
必要最低限の環境を揃えるのに、軽く100万円を越えてしまう。
当時のMacって奴は「中にちっちゃいおじさんが入ってる?」って感じるほど人っぽかった。
必要なソフトやフォントのインストールが終わってもすぐにはお仕事でつかえるレベルにならなかった。
説明が難しいんだけど、突然の強制終了や訳のわからないエラーを繰り返し、微調整をしながら育てていく~という感覚だった。
あと、人を見る感じもあったよね。ある人が触ると必ず強制終了しちゃうみたいな。
このマシンは私じゃないと言うこと聞かないのよ~、っていうの、あったよね??
ちょっと話がダッフンしたのでもとに戻すけど、DTPをやってるって言うと「印刷会社の人?」って思われるけど、そうじゃない。
メーカーで製品の取扱説明書(マニュアルってやつ)を作っていたのだ。
最初の会社は欧文タイプライターの製造販売をやっていて、英語やフランス語やドイツ語などなどの言語のマニュアルを作ってた。
実は英文科出身だったえみぃ。当時は英語を使った仕事をしたいと思ってその会社に入った。
入社前には「アメリカの工場に赴任させてあげる。最初はラインに入って修行してね」って言われてたのに、入ってみたらマニュアル制作部門だった。
えぇぇーって思うこともあったけど、まぁ目の前の仕事を一生懸命やるしかないよね、と、海外赴任はすっぱりあきらめた。
今思えば、ここがターニングポイントだったよね。
もし、アメリカの工場に行っていたら、今のえみぃはなかった気がする。
その当時は制作作業っていうより、コーディネイトって感じの仕事だった。
日本語で説明を考えて翻訳会社で言語展開してもらって、レイアウトも外部にお願いして。
印刷会社に発注して、青校チェックしてという仕事で、マニュアル制作の全体像をつかんだ。
毎月の生産計画書をチェックして倉庫の在庫を確認して、足りなかったら増刷手配をする、というようなこともやってたから、製造業の基礎も理解できたように思う。
今日のブログはなんだか文字がいっぱいでつまらないから、当時の写真を入れてみる。
会社の先輩のお婚礼で、振袖を着た写真。
若かったなー。
そこは1年半ぐらいで辞めて、次はプロッター(プリンターのお化けみたいの)を作ってる会社に入った。そこで、本格的なマニュアル制作&DTPを経験した。
具体的にどうやるかっていうと、仕様書や製品そのものを見て使い方を確認し、お客さんにわかりやすい説明を書いてレイアウトをする、ということだ。
この時は簡単なテクニカルイラスト(製品の使い方を説明する絵や分解図など)を書いたりもして、図面からイラストを起こす方法を教えてもらったっけ。
技術部に所属していて、部長秘書、技術秘書も兼務してたから、お客様からの電話を担当者につないだり、部長に頼まれて減価償却の細かいExcelシート作ったり、技術連絡書まわしたりなんつー仕事もしてた。いろんな経験させてもらったよね。
そうそう、技術部は男性が50人にたいして女性は4人だったから、すっごく大切にしてもらった。
幸せな会社だったなー。
その当時のなぜだか気だるい顔の写真。
会社のスポーツ大会での写真だと思う。
若い人が多くて、催しもたくさんあったっけ。
この会社には5年ほど勤めて、結婚のため退職。
主婦業に勤しもうと思ってたけど、失業保険が欲しい♡っていう理由で職安に行って、「DTPで高い給料の希望を出しとけば、適当な会社がみつからずに保険がもらえるわい」と思っていたら「あなたにぴったりの職場があったわよ!」と勧められちゃって。
「ここは人気があるし、試験もあって入るのは難しいけど、チャレンジしてみて!」
とのことだったんで、まぁ入れないだろうと。
試験もみっちり2時間。途中で集中力が切れちゃって、適当に記載して、まぁ受からないわと。
翌日からハワイ旅行に行って、楽しんで戻ってきたら「すぐ来てくれ」と連絡があり、働くことになっちゃった。
いわゆる情報処理系の会社だった。
後でわかったんだけど、マニュアル制作の経験者が欲しかったらしい。試験結果とか学歴はぜんぜん合格ラインじゃなかったけど、社長面接でのえみぃのトークが決め手になったようだ。
饒舌だったんだろうね~(よく覚えてないけど)
その会社でアプリケーション系のマニュアル制作にかかわったんだけど、ここからはDTP仙人、じゃなくて千人、でもなくて専任になった。
会社務めはこの会社が最後だったけど、ネットワーク関連とかパソコンのことをすごく鍛えられた。
ちょうどインターネットが始まった頃で、会社からの連絡は社内掲示板、社員同士のコミュニケーションはメールって感じ。
最先端の環境だった。
入社して自分の机に座ったらパソコンが一台置いてあって、
上司「ここに設定マニュアルがあります。必要なアプリケーションをインストールしてくださいね。インストーラーはネットワークにありますから、ダウンロードしてください。メーラーの設定方法はここにあります。○×△◇・・・」
って言われた。
???って思うこともあったんだけど、中途入社の人は即戦力を求められてるんだから、やみくもに聞いちゃいけないみたいな、なんだか見栄をはっちゃって。
インターネットブラウザーなんて初めて見る~って感じだったけど、わからない言葉や渡されたマニュアルに書いてないことを調べながら、なんとかセットアップをしたっけ。
フロアーにはけっこうたくさんの人がいたけど、しゃべってる人ってほとんど居なかったよね。
「今夜歓迎会をします!」っていうメールが隣の人から来たのはカルチャーショックだったわ。
初日はどうなることやら?と思ったけど、慣れてみたらメールって便利。
自分の都合でいつでも出せるし、相手の都合で見てもらえる。
電話みたいにすれ違うこともないし。
話をすることがめっきり減って、電話恐怖症になったよね。
この頃は食や健康のこと、ぜんぜん興味がなかった。
好きなものを食べて飲んで、やりたいことをやって太く短く生きたいって思ってた。
健康のためにっていろいろしている人を見ると、「長生きしたいのかな?」って思ったりしてた。
見た目も今とはずいぶん違ってた。
ツイストスパイラルっていうパーマをかけて、欧陽菲菲 みたいなでっかい頭をして、ミニスカートとか履いて、かかとの高い靴をカツカツ言わせて、指輪いっぱいつけてピアスもいっぱいつけて。。。
友達の結婚式でめっちゃお酒飲んでハイなとき(左)と、ツイストスパイラルを辞めてカラーリングに走って、どんどん色が明るくなっちゃった頃(右)。
誰ですかー?
この頃のスケジュールと言えば、朝9時には会社に行ってメールチェックやら庶務に1時間。
そのあとはひたすらDTPに没頭して、お昼や休憩時間以外はずっとパソコンの前に座ってた。
ほぼ毎日10時まで残業して、へたすると土曜も仕事って感じ。
結婚してたけど、家事はほとんどできてなかったなー。
朝も昼も晩もコンビニ弁当を食べてて、そのうち中耳炎や膀胱炎を繰り返すようになった。
お医者さんに行ったら、「滋養のあるものを食べてゆっくり休んで」って言われたけど、休めなかった。
で、このままだと体も家庭も壊れちゃう~と退職を決意。
在宅で仕事を始めてもう12年になる。
自宅で仕事をするには、パソコンはもちろんネットワークやバックアップ環境も構築しなくちゃいけなくて、まぁわずらわしいことも多かったけど、お蔭でますますデジタルに強くなった。
細々とホームページ作ったり名刺やパンフレットデザインしたりっつーようなこともやってきたから、ウェブ関連のこともだいたいできる。
なので、ハナノ*ドウヤのホームページももちろんえみぃが作っている。
ネットショップオープンにあたってはオットが一生懸命設定&登録するんだけど、カタログオープンの時はえみぃもお手伝い。
オットのパソコンで、ちょいちょいっとホームページを直してみせたら「あんたってすげぇなー」って言われて、ちょっとご満悦。
そりゃぁそうだよ。一応仕事でやってんだからね。
江戸時代のように暮らす、というのが今のえみぃの目標。
便利なデジタルの世界は目的地とは逆方向のようだけど、いいのだ。
人が作ってきた文明のいいところをちょこっと使いつつ、資源を大切にしつつ、江戸時代のように暮らすのがいいんじゃないかなーと。
ってわけで、なんとなく昔のことを思い出してこんなブログを書いてみた、今日この頃なのだ。
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カテゴリー
プロフィール
HN:
えみぃ
性別:
女性
職業:
農婦
趣味:
育猫、育苗
自己紹介:
えみぃ・・・・オーナー
オット・・・・えみぃのオット
音次郎・・・・オス(16歳)
るん・・・・・メス(16歳)
チャーリー・・オス(14歳)
杏・・・・・・メス(9か月)
★寅子・・・・・メス(13歳没)
★みぃちゃん・・メス(11歳没)
オット・・・・えみぃのオット
音次郎・・・・オス(16歳)
るん・・・・・メス(16歳)
チャーリー・・オス(14歳)
杏・・・・・・メス(9か月)
★寅子・・・・・メス(13歳没)
★みぃちゃん・・メス(11歳没)
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